ポークヴィンダルーの派生
宗教の功罪。
1509年から1961年までポルトガル領であった南西インド・ゴア。
ポルトガルのカトリック会派は、アメ(改宗によりカースト制から解放)と
ムチ(ヒンドゥー教の寺院焼き討ち)を使い、ゴア市民の改宗を促した。
ヒンドゥーはヒンドゥーで、牛は聖なる動物だから食べない一方で
水牛の角は悪魔の角と同じだから食べてもよいってルッキズムだけど...
良かれ悪しかれ宗教が文化的に貢献を果たしたことに異論はなく、
美術工芸品しかり、酒文化においてはベルギーの修道院ビールや
フランスの薬草酒、そして、前述のポルトガルのカトリック教徒が
ゴアの地で文化的貢献を果たした、新たな料理の誕生への導き。
ポルトガル料理「カルネ・デ・ヴィーニャ・ダリョス」が、改宗した
インド人の手によって改変され、ポークビンダルーへと昇華した。
※ 改宗したインド人以外のインド人がカルネ~を口にする機会は
限られるし、インド人でないとインドナイズド不可能。 よって
改宗したインド人制作説を取ります。 ちな、裏付け資料なし。
基となったカルネ~は、アドボと呼ばれる料理カテゴリー「お酢煮」
の中のひとつで、スパイスはクローブかローリエぐらいしか使わず、
酢の酸味がしっかり残った、ビンダルーとは全く異なる味わい。
カルネ~を口にした経験があるか否かで、ビンダルーの見方ががらりと
変わるし、大幅にインドナイズドしたインド人凄いなと思います。
余談ですが、お酢煮のアドボはポルトガルの隣国スペインにもあり、
スペイン領だったフィリピンにも存在する料理です。
カルネもアドボも一度は口にして欲しいし、提供する側ならすべき。
少なくともビネガーの酸味が旨味へなんて認識にはならないはず...
閑話休題。
ポルトガルは、当時インドのゴア以外の地域も統治しており、
その地域毎に独自のポークヴィンダルーが存在するのだそう。
その一つ、ゴアから約450km南下した場所にある港町マンガロール。
1568年から1763年までの間ポルトガルの属領であったマンガロールへ、
ゴアから大勢のゴアンカトリック教徒が移住した。
所変われば料理は変化する。
マンガロールの地で、ポークビンダルーが独自変化を遂げる──
その料理名は、ポークバファット。
ポークビンダルーと無論同様の酸味のある豚肉煮込みです。
ポークヴィンダルーとの違いは..
① スパイスを焙煎する
② 使用するスパイスの種類がビンダルーより多い
③ オイル類は使わない
④ タマネギなど香味野菜を炒めない
⑤ ビネガーではなくタマリンドが酸味の主体
是非お試しください。