賛否両論、とゆうより否定ばかりなので、

昨今、一部ビール愛好家から厳しい視線を送られている日本の某ビールたち。
大手ビール会社が製造した下面発酵のスタウトだったり
リアルエールと謳う、その味わいを再現した缶ビールだったり
そして、写真のホワイトエールではない、ホワイトエールだったり。


それらは、伝統主義者にとって許しがたい暴挙なのかもしれません。
しかし、敢えて前向きに捉えた意見を投げ掛けたいと思います。



リアルエール缶を例に挙げると、云うまでもなくリアルエールではありませんが
ただ、都心部のビアパブで提供しているリアルエールは、本当に
リアルエールなんでしょうか? 一部の(全てかどうかは知りません)醸造所は、
二次発酵まで仕上げた完成形でビアパブに出荷しています。
それってリアルエール...?


地方都市とはいえ50万人都市の松山で、未だかつて
リアルエールを提供するお店がないというのは、当店も含め飲食店の
努力不足でもあるのですが、そういったリアルエール不毛の土地にいる、
リアルエールを飲みたいと願う人にとっては、ウィジェット仕様のリアルエール缶は、
例えるなら、頻繁に鑑賞することが出来ない、美術館に保存された原画に対し、
再現性に著しく欠けるが身近に接することを可能にした画集といった存在とも
云えるのではないでしょうか。


また、下面発酵だとスタウトではないとか、小麦麦芽を使えば
ホワイトエールではないというのは、ビールラバーにとっては既知の事実。 
伝統を護ることの困難や重要性は、決して否定しませんが
新しいビールを創造していく事も重要な事であるはず。
そうでなければ、そもそもこの世にスタウトもホワイトエールも存在していません。


意地悪な問いかけかもしれませんが、下面発酵のバルチックポーターはお嫌いですか?
そして、もしもかの昔バルチックポーターが誕生した時代に、居合わせたならば
それはポーターではないと批判されるのでしょうか? 
伝統にそぐわないビールたちを、新しいビアジャンルの萌芽として
捉えようとするのは、果たして楽観視し過ぎなのでしょうか...


補足: 説明不足の箇所が多々あるため、誤解を招く文章かもしれません。
今回、ついブログで書いてしまったのは、伝統主義が必然的に属性に持つ、
排他性に少し疲れているからかもしれません。