薬箱のドランブイ #1
薬草リキュール・ドランブイに纏わる話譚。
18世紀、英国。
王位継承争いに敗れたチャールズ・エドワード・ステュアートは、
スコットランドのスカイ島へと逃亡した際に、マッキノン家に匿われた。
その謝礼として、後世になってドランブイと呼ばれる「秘酒」の
処方をマッキノン家へ伝えたとされる...
チャールズ・エドワード・ステュアート
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率直に言って、こうゆう類の逸話は眉唾が多い。
真実か否かは、当時のカトリックが飲酒に対してどれだけ厳しかったかが
ひとつのポイントに。 王位継承権争いの背景にあった、王家(カトリック)と
議会(プロテスタント)との宗教対立。
もし、カトリックが厳格に飲酒を禁じていたならば、カトリックを信仰していた
チャールズ・エドワード・ステュアートが酒を嗜み、さらにはドランブイの製造法を
当時25才の若さで解しているのは、かなり不自然になります。
ましてや、「王権奪還を支持」=「ある意味カトリックを支持」 した庇護者に対して、
リキュールのレシピを伝えたなんて、何をか言わんや。
更に不可思議なのは、マッキノン家がドランブイを19世紀になるまで
製造しようともせず、レシピが書かれた紙片を保管していただけとゆう点。
一世紀ほど経過してからようやく製造し、しかもオリジナルのレシピから
変更を加えて発売したなんて、一体なぜ?
王位継承者から伝えられたレシピを変更するなんて、
後世の人間とはいえ、あまりに不遜に思える行為。
階級社会の英国においては、俄かに信じがたい...
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さておき、スコットランドのエジンバラにある王立内科大学
ロイヤル・カレッジ・オブ・フィジシャンに、チャールズ・エドワード・
ステュアートに纏わる物品が保管されています。
写真の小瓶たち、非常に興味深いものなのですが、
長文になってしまったので、ここで一旦区切ります。
薬箱のドランブイ #2 へ続きます──